2018年10月30日

大好きなミュージシャンは沢山いるのですが、私が人生で最も影響を受け、愛し、尊敬しているのは、皆さんご存知、椎名林檎さんです
長年活動していらっしゃる林檎さん、当然アルバムごとに作風は違います、どれも好きなのですが、とりわけ私が好きなのは、林檎さんの3枚目のアルバム(加爾基 精液 栗の花)から、東京事変中期(教育〜大人あたり)の頃です

日本で椎名林檎を知らない人、そうはいないと思います、私のようなファン、一体どれくらい居るんだろうなあ、途方も無い数の人々が林檎さんの音楽を愛していると思いますが、それと同じくらいとまではいかなくても、たくさんの批判と、林檎さんの音楽を否定する人がいることでしょう

さて、ここからは私の身の上話になりますが、音大生の頃、授業内で先生が言った、生涯忘れられないであろう言葉があります

ヴォーカル演奏法という授業で、あなたが一番"良い"と思う(好みというよりは評価という意味での良い、だと思われます)歌詞を発表してください、という課題を出され、私は当然林檎さんの曲を用意したのですが、その時先生は、

「歌とは"癒し"であるべきものなので、攻撃的だったり、下品な言葉が使われた歌詞は正しくありません」

と、言いました
そしてこの言葉に続き、だから私は椎名林檎が大嫌いなんですよね、と、林檎ファンである私の目を見て、先生は言い放ちました笑

(何年か経ってからこの先生とは和解しているのですが、今の私にとって必要な出来事だったので文にしています、先生蒸し返してごめんなさい!まあこのブログを読んではいないだろうけど…)

私は当然、その言葉を受け入れることはできませんでした、もちろん、好みはあります、その点に関しては何も異論はありません、
そして所謂「攻撃的」な歌から、怒りや恐怖しか見出せない人も当然たくさんいるでしょう

でも私は林檎さんの歌に、何度も何度も何度も人生を救われてきたのです、林檎さんの歌う怒り、悲しみ、孤独、虚しさ、そこに共鳴して、共感して、傷ついた心に染み渡る歌、言葉、それは確かに私にとって「癒し」と呼べるものだったのです、26歳になった今でもそう、何年も昔の、何百回も聞いたであろう曲に、何度だって新しい何かに気付かされ、人生のヒントをもらい、救われて今日まで生きています

そして現在、インディーズシーン片隅中の片隅ではありますが、私も林檎さんと同じくシンガーソングライターとして曲を作り、うたを歌っています
"玖咲舞"という音楽を届けていくにあたり、絶対的にポリシーとしていることがいくつかあるのですが、そのうちの一つは、
「嫌われる勇気を持つこと」、です

再び大学生の頃の話に戻りますが、ソングライティングという定期的に自作の曲を提出する授業がありました、その当時の私は、当然こういうシンガーになりたいと思う理想像はあっても、どちらかというと曲を作り表現することより、ステージに立つことへの憧れだったり、「歌う」という行為自体が楽しいという思いで歌手を志していたこともあって、自分の思いを曝け出し、それを他人に知られてしまうことを恐れていました、これは一番あってはならないことかなと思うのですが、恥ずかしいとさえ感じていたのです
例えば、当時大学内で付き合っていた彼氏への愛を歌ったとします、それって周りや、本人には誰のことを歌っているのかバレバレなわけです、ウワ〜あいつ心の中ではこんなこと思ってんだって、そんな風に思われてしまうことが怖くて、当時は全く実体験ではないシチュエーションに、ちょっっっっっとだけ自分の思いを気付かれない程度にブレンドする…みたいな曲の作り方をしていました、本当に心の底からクソつまんねえ曲ばっかり書いていたな笑、

でも、ハッキリとしたきっかけがあったのかどうか、その辺りは自分でもよくわからないのですが、今の活動、弾き語りを始めてから、私はそれを一切恐れることがなくなりました
そして、持っている曲の100%ではないですが、私は今実体験を歌っています
それが当事者である人の耳に届くこと、まあ意味深なことを言ってしまいますが、確実に届いていることを承知で今日まで歌い続けてきました
それは、こんな思いを抱えているんだよ、苦しいのをわかってください、といったような、その人へのメッセージとして歌っているのでは決してありません、純粋なる表現であり、そこに対して不純な思いは一切、一っっっっっ切ありません
そして、私の歌う曲を聞いて、え、これ俺(私)のことじゃん?!ウワ〜〜〜!この女怖!重!!ヤバ!!!!と思われた時(まあ思わない訳ないんですけど笑)、結果としてその人や、その周りの人を失うことになるかもしれません、けれど、そこに対する恐怖も一切ないのです

更にこれは当事者のみならず、リスナーの皆さんに対しても同じことを思っています
私の音楽はどう考えても万人ウケしない、好き嫌いがハッキリ別れる音楽性ですが、私は嫌われることを絶対に恐れません
例えば、曲作りにおいて、黒か白かと問われた時、まあ6:4くらいで黒かな…と思っていても、表現者という立場にある以上、10:0で黒派ですと言い切る必要があると思っています
それによって白派の人たちを完全に切り捨てることになっても、嫌われることになっても構いません

そう、構わないし、「恐怖」はありません
だけども当然、痛みは伴います
私が実体験を歌うことで大切な人が離れるようなことになれば、それはそれは深い傷を負うことになるのもわかっているし、リスナーさんから「玖咲舞は嫌い」「聴きたくない」(まだ言われたことないと思うけど、ブスとか言われても死ぬほど傷付くよ!!!!)という類の言葉を目にしまった日には、悔しくて普通に泣いたりもします

でも私はそれらを全て覚悟の上で歌っているのです、だって勇気や犠牲をなくして、誰かの心を動かしたり、救ったり、癒したりするなんて、そんな大それたことが叶うはずないのです、かつて私の人生を何度も救ってくれた林檎さんのように、私はそんな覚悟を持って、悲しみを、怒りを、孤独を歌っています、怖くて、攻撃的で、ただ自分の思いを発散しているだけのように聞こえる人も居るでしょう、でも私はいつも、心の底から愛を叫んでいるのです、そんなものは愛じゃないと言われても、これが今生きている等身大の私の愛なのです
例えば、いつの日かもっと精神的に大人になって、フラフラしっぱなしの私が身を落ち着かせて、結婚なんてするような日が訪れるかもしれません、今そんな気配は一ミクロンもない訳なんですけど笑、
そうなった時、26歳の私が歌っている愛がいかに稚拙かを思い知り、恥ずかしく思うかもしれません、でも、そのアヤマチすら恐れることなく、今の思いを曲の中に閉じ込めて、いつまでも鮮度を保ったまま、歌い続けていきたいと思っています



私は今までたくさんの大切な人を失いました
たくさんの売る必要のない喧嘩を売りました
私の身勝手でたくさんの人を苦しめて傷つけてきました
玖咲"デストロイヤー"舞に改名した方がいいんでねえのってくらい、たくさんたくさん、ぶち壊してきました

客観的に見ても私は危険人物だと思います、間違っても敵に回したくないタイプの、性根腐った超ド級のネチネチ女です、それは私をよく知らない人でも、歌を聞けばわかりそうなところですが笑、
自分で自分を追い込んで、どんどん孤独が深まっていく人生なのです
実際に離れていく人も多いですが、何もそれは物理的なことだけじゃなく、私は最早自分自身の力では制御不能な、大きな問題を心に抱えて生きています、
誰にもわからない、誰とも分かち合えない、最早わかってたまるかとさえ思う苦しみです、
私はその苦しみの正体を隠して生きてきました、まあ多分隠し切れてはいないわけですが、それを別人格の「私」と思って心の中でひたすら守っています、そしていつのまにかその「私」が心の中でどんどん大きくなり、私の大切なものをどんどん壊していくのです、

今、私は割りかし、人生で一番なんじゃないかなーっていうドン底に居ます
その中で、やっぱり私は歌うしかないんだなと感じています
救いようのない自分を、もしも救えるとするならば、それは音楽しかないと心の底から思うのです
この先もっとたくさん失って、例えたった一人になっても歌います
私のこの、クソでしかない人生を歌います
負の感情から生まれた言葉を叫びます
それが誰かの何かになること、音楽に救われたかつての自分のような誰かに届くことを信じて活動を続けます

そして、大切な大切な人を失って、いっっっぱい間違えて、たくさん傷ついてきたことによって得たものがあること、出会えた人がたくさんいること、それがきっと私の人生の中で一番の奇跡で、かけがえのないものだから、いつか自分を誇れるように、全てはこのためにあったんだって、それらに意味を持たせるのは自分自身の行い、自分次第だと信じて、苦しくても辛くても報われなくても、私は歌います

だから、皆さん、どうぞ私を嫌ってくださいな
でも、本当に悪いんだけど、歌うことだけは絶対にやめないし、誰にも止めさせやしないよ、

ごめんね!
クズで怖い女で上等、これからもデストロイします。笑

2018.10.30